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2009年10月24日土曜日

不思議なウィキペディア

 「レフ・ヴァウェンサ(Lech Wałęsa、1943年9月29日 - )は、ポーランドの政治家、労働組合指導者、電気技師で、ポーランド共和国第2代大統領。日本ではレフ・ワレサとも表記される。」
 ウィキペディアの「レフ・ヴァウェンサ」という記事はこういう書き出しなんだけど、何か変。「日本ではレフ・ワレサとも表記される」というところが妙。かたかな表記の話なんだから、「日本では」って、あなた、そんなのあたりまえじゃないの。わざわざ断る必要がない。「日本では」を取り除いても何ら意味にちがいはないはずだ。こういう「蛇足」の裏にひそむ、ゆがんだ音声中心主義の自己主張が興味深い。私の方は蛇足をつけくわえるというのでははく、相当ことばたらずなんだが。



2008年11月20日木曜日

コンシエルジュという単語の正しい使用法

だいたい4分ちょうどあたりです。

 これは『ラビ・ジャコブの冒険』(1973年)という映画からの抜粋です。フランスではこの映画の舞台版を現在やっていて、MCソラールがテーマソングを歌っています。
 ルイ・ド・フュネスというひとは日本では知名度がありませんが、フランスではもっとも有名な俳優のひとりです。「フランスのコメディ俳優が知られていないのは世界どこでもいっしょじゃないの?」と思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、ロシアあたりでは結構有名らしいです。日本と英米以外ではかなり有名なのかもしれません。ウィキペディアのペイジのフランス語版日本語版を比べただけでも、その記事の分量の圧倒的なちがいに驚きます。ある意味で「伝説的な俳優」だとしても、別にみんなに尊敬されている俳優というわけではないでしょうが、ルイ・ド・フュネスの映画はたぶんいちばん地上波のテレビでかかる映画ではないかと思います。『ラビ・ジャコブ』は2年に1回はかかるのではないでしょうか。ルイ・ド・フュネスはどちらかというと、あまりに大衆的であるがゆえに、その真価が理解されていない俳優であると云うべきでしょう。ヴァレール・ノヴァリナがド・フュネスを高く買うのは、この意味においてであると考えるべきです。(「ヴァレール・ノヴァリナも高く評価するルイ・ド・フュネス」とか云うのはやめましょうね、恥ずかしいから。)
 この映画でルイ・ド・フュネス演じるヴィクトール・ピヴェールは、差別的な偏見をもった保守的な小金持ちの小市民だが、どことなく憎めない、という彼の得意の役柄です。車が事故に遭った後で、ユダヤ人の運転手をくびにして、助けを求めて訪ねた工場で、彼は"Concierge! Madame! Madaaaame!"と叫びます。太っちょの無愛想なおばちゃん(普通のコンシエルジュのイメージ)がガムとかくちゃくちゃかみながら「何?」と云って出てくるのを彼は期待しているわけです。もっとも私にはこんな工場にそんなコンシエルジュがいるとも思えません。ここでコンシエルジュを期待するピヴェールがおかしいということなのでしょう。これも小金持ちの小市民的な行動ということでしょう。
 フランス映画で国内の入場者数が史上第一位だったのは、長らくルイ・ド・フュネスとブールヴィル主演の La Grande Vadrouille (1966年)でしたが、今年ダニー・ブーンの映画に抜かれてしまいました。ド・フュネスの映画には見るに堪えないようなものも多いですけれど、この映画と『ラビ・ジャコブ』くらいは見ておいてもいいでしょう。私は『ラビ・ジャコブ』がいちばんいいかと思います。

2008年11月11日火曜日

バラック・オバマ広場

 オバマの犬の話をまるで皇室の話でも伝えるかのようなうそくさい楽しげな雰囲気で伝える日本のテレビにも困ったものだが、フランスのオバマ熱もかなりばかくさいようです。
 計画そのものは今年の三月頃からあったらしいのですが、ジュラ山地(アン県)の人口900人の寒村ファルジュ(Farges)では、教会のそばの広場にバラック・オバマ広場(Place Barack Obama)と名前をつけることを正式に決めたそうです。既に新しい広場の名前を記したプレイトが発注されたとのことです。30年前から市長(村長)であるダニエル・ジュリエ(Daniel Juliet)さんは、この決定を人種差別撤廃に向けての意志表明の一環と位置づけています。志は立派です。
 このニュースを紹介する地方紙「ドーフィネ・リベレ」(Le Dauphiné libéré)のサイトのニュースでは、もしオバマさんがクリントンのようなスキャンダルを起こしたらどうするんだろうと心配していますが、村長さんは「そのときはプレイトを外すまで」とおっしゃっています。人口900人の村なら気楽なものですね。
 でも何よりも気になるのは、この村長さんの苗字ですね。作家のシャルル・ジュリエもアン県の寒村の出身です。
 ファルジュの村は、ナポレオンが名付け親になったサント・エレーヌ島生まれの娘(おそらくナポレオンの実の娘)ナポレオンヌ・ド・モントロンが住んでいたことで有名なのだそうです。

2008年11月8日土曜日

おばかなアンケート



 ベルギーの Le Vif / L'Express なる週刊紙のサイトで、このようなアンケートが行われたそうです。
 「米国が世界中に強大な影響力を及ぼしていることを考えると、全世界の国の市民が米国の大統領選に投票できるようになるべきだと思いますか」
 11月5日の時点で313人が投票し、22%が「そう思う」と答えたそうです。アンケートに応えた人数は少ないとはいえ、これはベルギー一の読者をもつフランス語のニュース週刊紙で、フランスのレクスプレス紙の系列紙なのです。
 これを伝えるマリアンヌ2の記事は、「これは悪い冗談か何かなの?」とあきれているのだが、どの辺がばかなのかわからないひともいるかもしれません。小浜市民とか。(もちろん小浜市民がみんなおかしなことを考えていたわけではないでしょうが。)

2008年11月7日金曜日

サルコバマ

 「頭がいいひとはオバマに投票する」というまさに「裸の王様」的な雰囲気を見るにつけ、どうもこれは去年のサルコジブーム、「頭がいいひとはサルコジに投票する」を思わせるなあ、と思っていたのだが、やっぱりオバマ陣営はサルコジの選挙キャンペインにヒントを得たそうです。やっぱりねえ。ということは、大統領になった後は失望の連続ということですか。こっちはといえば「どうしてサルコジなんかがいいと思うのよ」と最初から思っているから失望なんかしませんが、オバマについても同じです。ともかく「オバマはパキスタンに戦争をしかけるのか」、これがいちばん大きな私の関心事です。あとやっぱり「たろちゃんはどういう失言をするか」も楽しみに待っております。
 こんな写真を見つけました。

 ところでオバマの当選について、日本のメディアは黒人、黒人って云うんだけど、これってちょっと慎みに欠けるんじゃございませんか。いいんですかねえ、本当に。テレビでは「アメリカではタブーですから、あまり黒人ということを云いません」と物知り顔の現地の日本人ジャーナリスト(あるいは評論家)が云っていたが、タブーというよりも、あんまり気にしてないだけなんじゃないの?という気がします。まあ、「あんまり気にしていないふりをする」のがまさにタブーのせいであるというのなら、それはそうなのかもしれませんけどね。それは別として、やっぱりメディアがあんまり黒人、黒人って云うのはどういうものかと思うよ。
 ハーフっていうことばもありますけど、これも日本独自のものでしょうか。ハーフだのクォーターだのよっぽど純血思想にとりつかれているんですね。純粋な血なんてあるはずがないんだから、肌の色がちがうひと同士の結婚から生まれた子供だからといって、それが半分かどうかもよくわからないでしょう。「この子供はふたつの文化を受け継いでいる」ということを云いたいのなら、むしろハーフよりダブルと云うべきでしょう。
 私はハーフということばを使うくらいなら、「混血」とか「あいのこ」とか云います。その方が何を云っているのかわかるからです。でももしハーフということばを使うのなら、これを日中、日韓(日朝)の間の子供にも使いましょう。中韓(中朝)の間の子供にも使いましょう。インドネシア人とフィリピン人の間の子供もハーフです。ハーフということばは国籍よりも民族にかかわるのでしょうから、同じ国籍の両親からでもハーフが生まれます。オバマだって当然ハーフですね。「米国初、ハーフの大統領!」とかね。何が「初」なんだかはよくわかんないが、この方が「黒人初の大統領」よりも「よくわかんない」ということがわかりやすい。まあ、日本のメディアは慎みがないですよ。「アメリカ合州国」のことをもっぱら「アメリカ」と呼ぶのも慎みがないですね。
 あと気になったのが、「ブラッドリー効果」というやつね。日本語ウィキペディアには「選挙において非白人候補者の得票率が世論調者を下回る現象をいう」と書いてあります。テレビで見ていて、ブラッドリーさんの反対側の候補者がただ「白人」と云われて名前が口にされないことが気になったのだが、名前を見ると Deukmejian って、アルメニア系じゃないのよ。アフリカ系の人種は迫害の歴史を生きてきたというのなら、アルメニア人だって迫害の歴史では負けないけどね。もちろん比べるようなもんじゃないが、白人だからといってすべていっしょくたにすることもやはり慎みがないとは云えます。たとえばフランスの政治家(与党UMP総書記)にパトリック・ドゥヴェジアン(カタカナが気持ち悪い)というひとがいますが、これもアルメニア系だけれども、若いころは極右でした。単純な左翼思想によれば、こういったアルメニア移民の子供はアプリオリにエスタブリッシュされた階級の人間で、黒人はアプリオリに抑圧される側になるということになるのだろうが、こういう考えには慎みがありません。もしブラッドリーの相手がユダヤ人だったらどういうことになったのか、という仮定もまた慎みもないものであるのにはちがいありませんが、こう考えたときに、「ブラッドリー効果」の慎みのなさがわかるでしょう。これは「ユダヤ人を敵視する黒人」と同様の発想に容易に堕するものです。「オバマが当選しなければならないから、ブラッドリー効果に気をつけよう」なんて、良識の仮面をかぶったきわめて下品な意見なのです。こんなことを云って「一般の有権者の深い差別意識」をえぐっている気分になっているやつらは、まったくもって下劣なのです。ブラッドリーがデュークメジアンよりもよかったなんてだれにも証明できないだろうし、有権者が差別意識によって投票行動を決定したなどと考えるのは、まさしく有権者の良心を疑う民主主義の敵の発想です。

何が「政府の見解とは異なる」だ

 たもちゃんというひとは、話すときに落ち着きなくからだをゆうらゆうらさせて見苦しいったらありゃしない。
これでも軍の教育を受けたひとかっ!(怒)って、そうか軍の教育じゃなかった、失礼、合憲の自衛隊の教育を受けたひとですからね。さすがに日教組の産物、
道徳教育粉砕運動だ。ちゃんと気をつけして「ワレワレワーッ!」って話せよ、日本人なら。「ワレワレワーッ!」て云うのは左翼か。
 まあ、別にた
もちゃんのことはどうでもいいのよ。こういうひとはいるんでしょうから。腹立たしいのはメディア。何が「政府の見解とは異なる論文を発表した」だ。修正主
義なんだから、修正主義ってちゃんと云えよ。いったいだれに対して気をつかってんだ、てめえら。「立場をわきまえる」とかそういう話じゃないでしょ?
こいつら、「これは修正主義的な意見である」という意見を表明することが、たもちゃんの表現の自由を侵害することになるとでも思ってんのか?
ばっかじゃねえの。これからは殺人を殺人とは呼ばないとか、窃盗は窃盗と呼ばないとか、そうしますか。「マスコミの人間は、こぞってたもちゃんの示す見解
は正しいのかもしれないと思っている」ということでいいのかい。
 たもちゃんの云うことは全部まちがいではない、とか「一理ある」というのは、あ
る意味で事実です。「ヒトラーだってドイツのことを考えた」という意見に一理あるのと同じことです。しかし「立場を表明する」ということと、哲学的な問題
は別の話です。マスコミは立場を表明するべきなのであって、ヒューム的な懐疑論など、むずかしい哲学問題を論じるべきではありません。「子供が見てる」ん
だぞ。あんたら、わかってんのかな。

 たもちゃんの云っていることは犯罪的なことです。法律で罰せられなくても、社会的な制裁を受けるべき犯罪的なことというのは存在するのです。いったい何
を考えたか、日本のメディアの一部をなすごろつきどもは、「生意気だ」「品格がない」「浮気した」などが社会的制裁を受けるべきだと信じているようです
が、その親分たる主流メディアには、たもちゃんの書いたことは犯罪的なことだということすら云えないのです。

2008年11月1日土曜日

フランスのラジオニュースでばかにされるたろちゃん

 たろちゃんが「最近漫画を読む時間がない」と発言したことについて、フランスのラジオ局ヨーロッパ1のニュースで、「想像できますか。もしサルコジが「忙しくてもう『アステリクス』を読む時間がない」なんて云ったら、フランス人ならヒステリーを起こしてしまいますよ!」なんて云われちゃってます。世界に通用する3Jなんて云ってますが、そういうあなたの感覚がまったく通用していないからね。まあ、ばかにされているのはたろちゃんじゃなくて、こんなたろちゃんを首相として認めている日本人かもしれません。
 しかしこの話題は、日本のもうひとつの話題の枕として副次的に扱われただけのたろちゃん。もうふんだりけったりです。メインの話題は、いったいフランス人のジャーナリストはいったいどこから探してくるのか、暇なのか、高下太一というひとの署名活動の話です。日本の話題をフランスのポッドキャストで知るというのも乙なものです。この高下くんというひとは、漫画の登場人物と結婚したいと云って、インターネット上でこの結婚の合法化を求めて署名を呼びかけているのだそうです。なんまんだぶ、なんまんだぶ。
 冗談としてもあまりおもしろくないのだが、署名の呼びかけを引用すると、「もはや、僕たちは三次元には興味がありません。できるならば、二次元の世界の住人になりたいとすら考えています。しかしながら、現在の科学技術ではそれは実現されそうにはありません。そこで、せめて二次元キャラとの結婚を法的に認めてもらうことはできないでしょうか?もし、これが実現したら企画者は、朝比奈みくると結婚する予定です」だそうです。何だか、おもしろくないんだよねえ。うるおいがないのよ。だから応援もしません。
 ただ気になるところは、この呼びかけの中心である「二次元キャラとの結婚を法的に認めてもらう」というところです。法律の話をしているのです。法律の話をするのであれば、結婚は合意に基づくという法律も変えなければ、これは認められるはずがありません。要するに「そっちの方も変えろ」ということなのでしょう。そっちの方も変えるのがむりなら、「俺のことを合意なしでも結婚できるひとのなかに入れろ」、ということでしょう。合意がなくても結婚をごりおしできるのはひろくん(なるちゃん)ぐらいのものです。合意がなくても結婚をごりおしできるひろくん(なるちゃん)は「果たして本当に日本国民なのだろうか?」という疑問を感じずにはいられませんが、この高下くんのメッセージも、一言で云えば、「非国民になろう」ということなのではないかという気がします。「本当の意味では国民ではないがゆえに国の象徴になってしまう」ものとおたくは性格が似ているということでしょうか。
 このひとは、ダッチワイフ、マネキン人形、あるいは飼い犬と結婚したい、ということでもいいのではないかと思うのだが、これらはやはり三次元的なふくらみをもっているからいかんということなのでしょうか。いや、きっと飼い犬は自分が所有していることがわかっているから、法律に支えてもらわなくてもいいのでしょう。観念的な女性と結婚したいのなら「小野小町と結婚したい」とか、いっそのこと「聖母マリア様と結婚したい」まで行ってしまってもいいような気もします。そうではなくて、自分の手元にあるものに対する執着、自分の親しみがあるものに対する執着を見せるのは、「結婚」というものと「占有欲」「支配欲」が密接に結びついているからなのでしょう。たぶん結婚よりも占有欲の方が先です。「これは自分だけのものだ」ということを象徴的に保証するものを法に求めるというのは、発想のレベルが低いんですね。だれだか知らないけれど、朝比奈ミルクだか何だかをめぐる欲望模倣の想像上の闘争がこの呼びかけの原因です。あらためてあきれてやるのもばかくさいが、もんのすごく狭い世界だな。(著作権者はこの場合親にあたるのでしょうが、親の同意はそもそも結婚に必要ありません。作品が親の同意を必要としない年齢に達しているかどうかをどのように判断するかという問題もあります。)
 ともかく、このひとが他者を支配するために結婚したいのなら、絵とでも結婚しておけばいいのかもしれません。

航空自衛隊すなわち軍

 日本テレビ系「ウェークアップ!プラス」で岩井奉信という政治学者が、「そんなの関係ねえ」でおなじみのたもちゃんについて、「航空自衛隊すなわち軍のトップ」という言い方をしています。自衛隊は軍ではないといくら口を酸っぱくして云ったらわかるのでしょうか。前にも云ったことがありますが、軍が存在しない民主主義の近代国家日本国において、「シビリアン・コントロール」が問題になることが既におかしいのです。軍人は存在しないのだから、国民全員「シビリアン」です。そうじゃなかったらおかしいでしょう。

2008年10月25日土曜日

何かおかしいから



[Légende]

 特に意味はないが、何かおかしいから。どことなくまちがいさがしにひとをいざなうようなタッチ。そういえば ScribeFire の flickr 画像検索機能を使ったことがないので、使ってみました。それだけです。ただ、こういう絵はこの時期を過ぎたら決して見ることもなければ意味も失うのかな、というのがおもしろいと思う。

困ったコマーシャル

 石原良純が出ているタウンページのコマーシャルに、押し入れに棚がついていないことに困り果てたロシア娘が「ロシアでは絶対に棚がついてる」と主張し、石原良純がタウンページを調べて大工さんを電話で呼ぶというものがあります。これを見た外国人が大家さんに断りもなしに勝手に大工さんを電話で呼んでアパートを改変するようなことがあったとしたら、NTTには責任がとれるんですかね。まあ、ロシア娘が出ているとはいってもコマーシャルは日本人向けで、日本人なら勝手に棚をつけてはいけないことは常識としてわかっているということを勝手に前提しているのだろうし、たとえ問題があったところで、それは契約をちゃんと理解していなかった外国人の借主の自己責任ということにするのだろうが、そうだとしてもこのコマーシャルは誤解を呼ぶものではないでしょうか。わざとトラブルをつくろうとしているんじゃないかという気すらしてしまいます。
 フランス人の大家さんが日本人に部屋を貸してよく云う苦情が、「日本人は何もしない」ということです。「部屋に何か問題があったら自分で直せばいいじゃない」と思うのだが、本当に融通の利かない日本人は何もしない、と考えるのです。もちろん契約ではだいたい部屋を勝手に改変してはならないことになっていますが、「しちゃいけないったってこのくらいはしてもいいかどうかくらいはわかるでしょ」と彼らは考えます。もちろんこれは「外国人だって日本の常識を知っていて当然」と考える日本人と同じ穴のむじなです。でも「原則ではいけないとは云っても、これくらいのことは当然できるでしょう」ということばを認めないほどの融通の利かなさはやっぱり直した方がいいかなとは思います。だからといって日本の大家に断らないで勝手に押し入れに棚をつけてしまう外国人のことを私は支持しませんが、このコマーシャルは、そんなことくらいはしてもかまわないと思われている国からきた外国人にあえて誤解を与えるものだと思います。私も誤解を与えないために書いておきますが、フランスのアパートでも棚を勝手につけたりはしないでください。正直なところ私も、フランスの大家が「日本人は何もしない」というときに、どこまでが彼らの頭のなかで許されているのかはわかりませんから。

 「政治信念を貫いて堂々と責任をとった九州男児中山くんは国民の大多数が日教組に対して内心で抱く気持ちを代弁した」でおなじみの佐々さんは、今朝のテレビで、金融危機の話題のなかで英語のことわざをひとつ紹介していました。Every cloud has a silver lining. でも佐々さん、日本語の「わざわい転じて福となす」で満足しちゃいけないんですかね、やっぱり。

2008年10月24日金曜日

日本人は何を悪くとるか

 フランスのラジオ局RTLのクイズ番組でこのような三択問題が出ました。
 日本人はどのような外国人のことを悪くとるでしょうか。
  1. 卓球では負けないぞ、と云うひと
  2. 日本人を中国人や朝鮮人とごっちゃにするひと
  3. 富士山がどこにあるかわからないひと
 正解は2でした。司会者が云っていましたが、卓球が強いのは中国ですね。だからこの問題をつくったひとは日本人に嫌われてしまうかもしれません。「中国人や韓国人だってごっちゃにされていやなのは同じだろう!」と額に青筋を立てて怒るひとがいるかもしれませんが、この混同に怒るイメージが強いのは日本人なのでしょうね。プライドの高い日本人は怒ってばっかりですから。プライドが高いだけならまだしも、今の世のなかにもなって、いまだに日本人が他のアジア民族に対して優越していると心の底では思っているひと(恥)がごろごろしてんのかなあ、なんて思います。クイズとしては「外国でのマナー」についての問題だったので、「こんな日本人のメンタリティーでも認めてやろう」なんて偽善的な態度までフランス人に抱かさせてしまうということに深く考えさせられます。

2008年10月14日火曜日

Japanese are coming!

 題名はダニエル・デイ・ルイス主演の映画のなかでは最もカルト度が高い『エヴァースマイル・ニュージャージー』からの引用ですが、特に意味はありません。
 フランスの人気テレビ番組に『スター・アカデミー』という新しい歌手を見いだすのが目的のオーディション番組(TF1)があります。今年は8年目になりますが、いい加減に飽きられて視聴率が低いようです。見ようと思えばTF1のサイトで番組を見られます(恥)。
 さてこの番組の第4シーズン、つまり4年前の優勝者はグレゴリー・ルマルシャルといいました。これです。

 このひとは第4シーズンの一回目の放映から「たぐいまれな才能」と喧伝され、視聴者投票の形をとっているとはいえ、優勝は最初から仕組まれていました。 私は一回くらいは視聴者投票の結果をごまかしたんじゃないかと思っています(男子セミファイナルが特にあやしかった)。それはともかくこのひとは嚢胞性肺繊維症(mucoviscidose)という難病でした。歌は別につまらないです。肺の移植を待っていたものの手術が受けられなくて 2007年に亡くなりました。
 さて2006年のことになりますが、国民的人気TV司会者のジャック・マルタン(サルコジの前の奥さんのセシリアがサルコジと結婚する前の夫、故人)の 息子のコメディアン、フレデリック・マルタンが、フランス2のテレビ番組で「『スター・アカデミー』のこれまでの優勝者は、ジェニフェール、ノルウェン・ルロワ、エロディー・フレジェ、ミュコヴィシドーズ(病名)、感じのいいマガリ」と云ったために侮辱罪のかどで訴えられ、このたび有罪判決が出ました。名前を云わないで病名で呼んだから侮辱だというんですね。(身体障碍者に対する侮辱に関しては特別な法律があるのだそうです。) ちなみに感じのいいマガリというのはおでぶちゃん、今でいうメタボです。あ、若いからメタボじゃないか。この第5シーズンの優勝者のマガリ・ヴァエ以後は 『スター・アカデミー』で優勝してもレコードはまったく売れないということになっています。マガリ・ヴァエはだいたいお笑いのねたです。グレゴリーくんはねたにしてはならんというのがどうにも合点がいきませんね。やっぱり身体障碍者として認定される病気だからなのでしょう。
 侮辱罪の訴えを出していたのはグレゴリーくん本人ですが、遺族が裁判をつづけていて今回の判決になったということです。RTL の On refait le monde でジャーナリストのギー・カルリエが「グレゴリーくんの名のもとに本を何冊も出したりグレゴリーくんに捧ぐとか云って何度もテレビ番組をつくっているひと の方がよっぽど彼の記憶を汚しているではないか。くだらないコメディアンのとるにたらないつまらない発言だけがこのような形で有罪判決を受けるのはどういうものか」と云っていました。まったくごもっともです。
 一方でいつまでも「上昇中」の民放TV局M6では『ブーゴン一家』というテレビドラマが問題になっています。これは生活保護をだましとったり、苦情を云って金をせびりとったりということを繰り返すひどいひとばっかりの一家を主人公としたコメディだということです。サルコジのスローガンは「もっと働いて もっと稼ごう」ですが、怠けもののブーゴン家のスローガンはいわば「できるだけ働かないでたくさん稼ごう」なのだそうです。
 さてこのテレビドラマのコンセプトにフランス中のブーゴンさんがご立腹で、放送の差し止めを要求しました。放送の差し止めは急なことなので、略式裁判の判決が待たれていましたが、M6はこれを放送できるという裁決が下り、第一回目のエピソードが昨日放映されました。当然のことながら、裁判はつづくという ことです。
 情報源は jeanmarcmorandini.tele7.fr ですが、これでだいたいフランスのテレビの情報はわかります。あと Europe1 のポッドキャストでもこのジャンマルク・モランディーニのテレビについての番組があります。まあ、どうでもいいですね。
 まったく、うるせえこと云ってんじゃねえよ、てめえら日本人か、ということで「日本人がやってくる!」と云ってみたんだが、ちょっとちがうかも。逆にこういうのが日本にやってくるのかなあ、よくわかんないや。「サスペンスの殺人犯に名前がつけられない日」とか。「このひと、名前がないからきっとこのひとが犯人だよ!」という風に視聴者は推理を働かせることになるのさ。
 まあ、ともかく、『エヴァースマイル・ニュージャージー』、変な映画好きにはお勧めです。全然この記事の内容とは関係がありません。「ダニエル・デイ・ルイス主演の最低の映画」「最大の汚点」かもしれんが、いやいやどうして、見て損はありませんよ。

2008年10月1日水曜日

集大成の謎

 フランスの特にテレビのスポーツニュースで anthologie ということばが最近よく使われていて、「これ何かなあ、流行りなのかなあ」と思っていたのだが、日本に帰ってきてみると、日本ではスポーツ選手がみんな「集大成」と云っている。いったいどこからきた流行りなんですかね。非常に不思議。

2008年9月28日日曜日

中山くんのバランス感覚

 「独裁者小沢に抑えつけられている民主党も解体しなければならない」と中山くんは主張するわけだが、民主党解体の後に自民党の一党独裁が訪れるはずもないと心の底から信じ切っているこの純粋な民主主義者中山くんの絶妙なバランス感覚が、ぼかあ好きだなあ。

2008年9月16日火曜日

フランスのロックなど

 お断りしておきますが、フランスのロックを追いかけているひとには何の発見もありません。しかもあまり脈絡がありません。有名なものだけを紹介しているというわけでも、無名なものだけを紹介しているというわけでもありません。気分のおもむくままです。最近のフランスのロックって全然知らないけどどういう感じなの?というひとが聞いてみるのに向いています。断るまでもなく、私の好きなものだけです。一、二年前のものが古いとかそういう感覚の人には向きません。
 最初から英語の歌で何だが、Tu Seras Terriblement Gentille、略して TSTG というグループ。英語なのが残念だが、とりあえず新しいから紹介しておく。結構今の感覚ですね。私はかなり好き。何がいいって、ヴィニール盤のシングルでデビューしたというのがいいじゃないですか。そうしてくれたらうれしいけどな、とグループ名を訳してみた。



Tu seras terriblement gentille/ I'm looking4U

 ガレージパンクのTSTGとはまったく世界がちがうガキロックのプラスティシーヌ。かわいいからいいじゃないですか。ど下手なんじゃないかと思っていたが、思っていたよりうまい。アルバムのなかではこの曲がいちばんいいですね。かわいいから。というかかわいいという要素を抜きにしては決して語れない音楽だ。気に入ったらヒット曲の「ルーザー」のクリップも見てみましょう。(他のガキロックは省略。フランスのガキロックは日本のヴィジュアル系のようなものなので、決して大きな声で好きだと云ってはいけません。)


Plasticines - Bicyclette - live Coachella 2008 4/27/08

 フランスロックの中堅グループのひとつ、マトマタです。ブルターニュのグループではありますが、何もケルト風ロックのカテゴリーに入れなくてもよい熱いロックを聞かせます。と云いつつ実にブルターニュ色の強い曲を紹介。マトマタのコンサートではよくある光景だが、会場ではブルターニュの旗がはためいておりますよ。ライヴはいいんだが、スタジオ録音はいまひとつです。演奏力のないフランスロックのなかでは異彩を放つ好きなグループですよ。ときどきヒット曲も出します。





matmatah l'apologie

 何ゆえに大して売れないし人気もないのか私にはわからない AS ドラゴン。大売れの Superbus なんかよりずっといいのに。私は単純に声質がものすごく好きという点でも、アイヴィーのようなものか。「私はデビー・ハリーやスージー・スーになれたかもしれないのに。しょうがないわ、パリに生まれちゃったんだもの」と、歌詞はものすごく後ろ向き。クリップは、アイディアはわかるがおもしろくないな。曲はとてもいいのに残念だ。こういうメランコリックな曲もいいんだけど、かなり激しい曲もやって、それもいい。いちばん好きな曲は見つからなかった。


AS DRAGON-Comme Je Suis

 マドモワゼル・Kは今のフランスでいちばんロックな女性シンガーですよお。実は曲が結構頭がいい音楽学校出身。マドモワゼル・Kはかなりいいんじゃないかと思わないでもないのだが、「ロックだぜ」というストレイトなキャラクターが妙。これはヒット曲。曲名は「気分悪いわ」としておく。


MAdemoiselle K - Ca Me Vexe

 突然ものすごく軟弱で恐縮だが、カオラン。何だか感覚が古い、ださいという感じがするんだが、フランス人だと点数が甘い、というのが全般に云える。クリップ、もうちょっと何とかなんないのか。弁護しておくが、全曲こんな甘ったるいわけではない。どちらかといえば、こんなもの聞いてちゃいけないなあ、と反省してしまう。でもこういうのが好きというのが体質なんだよ。何とも恥ずかしいことです。


Kaolin - Partons vite

 才媛ダフネ。ジャンヌ・シェラールだのカミーユだのポーリーヌ・クローズだのより才能があるのではないかと思うのだが、それでもインパクトが弱すぎるなあ。でもカルラ・ブルーニ程度で満足したひとには問題なく勧められる。

 


Daphné - Musicamor

 と云いつつ、ポーリーヌ・クローズも結構いいということが徐々にわかってきた。「実験的なサウンド」(!)のセカンドアルバムはファンを失望させてファーストに比べて売り上げが激減したということだが、私はこっちの方がいいと思いますよ。ファーストは「何か普通」と思ったから。でもやっぱりこのひとはものすごく地味。味わいはあるのかもしれないが、あまりに華がなさすぎですなあ。ポップスなんだから華がないと。


Pauline Croze - Jour de foule

 最後に変なひと、クレール・ディテルジ。むかしトゥールの町出身のフォルゲット・ミ・ノットというグループがあったのですが、そこのメンバーでした。どことなくレコメンデッド系のような雰囲気の音楽をやっていたグループなのだけれども、ソロになってもやっぱり変ですね。もう15年くらいもやってるんですか。


Claire Diterzi - Tableau de Chasse (Promo Video)

 やっぱりこのひとだけがとびぬけてものすごく変でした。結局クレール・ディテルジを紹介したかっただけなんじゃないか、という気がするひともいるかもしれないが、そういうわけではないのよ。評判がよかったら第二弾をやります。

敬老の日

 日本のテレビは後期高齢者制度をニュース番組でお年寄りいじめとして批判しながらも、敬老の日にお年寄りを大切にしようという番組もやりやしない。お年寄りと孫が交流するほほえましい姿を映す視聴者参加の番組でもやればそれでいいのである。それくらいのことはやれよ、と思う。こういう意見をせせら笑うひとはばかです。

2008年9月12日金曜日

ミシェル・ウェルベック速報

 作家ミシェル・ウェルベックが自作『島の可能性』を自ら監督して映画化し、これがこれまでにないほどのひどい映画で、これまでにないほどに酷評されているそうです。主演はブノワ・マジメルだそうです。
 来月にはウェルベックがだれか有名なひとといっしょに書いた本が出ることになっているそうです。たぶんのお友だちのフレデリック・ベグベデだろうということになっていますが、もしかしたらカルラ・ブルーニ・サルコジかもしれないという噂もあります。いずれにしても金のなる木の話です。ベストセラー作家にふさわしい活動をするひとにはベストセラー作家にふさわしい評価を与えましょう。
 ペシミスト面をすれば頭がよく見えるだろう、レベルのひとをもてはやしたいひとはそうしていればいいのかもしれないけどさ。まあ、ウェルベックはどんどん右に傾いていっているらしいから、そろそろみなさんだまされたことに気づくんじゃないの。

2008年9月10日水曜日

考えない日本人

 むかしだれだったかどこの国のひとだったかどういうひとだったかまったく忘れたけれども、外国人のひとが、インタヴューの最中に手元にあった新聞をとって、「日本の新聞は下の欄にいつも書籍の広告があるのがよい」と云って日本人は本を愛する国民だと指摘していました。私はそれを読んだとき、「こんなにエッチなこととか週刊誌の広告の見出しに書いているのにそれでもいいのかな」と思いました。きっと日本語ができるひとではなかったのでしょう。
 おとといの朝日新聞ですが、一面の書籍広告に『911・考えない・日本人』という題名の本がありました。「『考える力』を喪失した日本人論」を標榜するのは別にいいのですけれど、そういうことを云っているのが2001年9月11日のテロの陰謀説の本というのはどういうものでしょうか。しかもこの広告は「世界」では陰謀説が大勢であるようなことを匂わせています。「世界中が恐るべき事実に気づきだしたにもかかわらず、日本人だけが官製情報を盲信しているのは、なぜか?」だって。「集団洗脳による無思考病」なんて書いてるけど、日本人の問題はむしろ集団洗脳されてもいないのに画一的な思考を好むということなんだと思いますが。こういう風にして「考えない日本人」をだまそうとするのはいけませんね。こんなことばにだまされるのは「考えない日本人」だけなんだから。こんな本の広告を一面に載せる朝日も朝日だ。
 フランスのお笑いでいちばん嫌いなひとと云えばジャンマリー・ビガールだが、このひとが先週の金曜日 Europe1 のローラン・リュキエの番組にゲストで出演して、マッケインがベンラデンの逮捕を公約として掲げているという話が出たときに、聞かれてもいないのに、「ベンラデンもアルカイダも関係ない、9月11日はあれは米国人がやったものだ」と云いだして物議を醸しております。ツインタワーに突っ込んだ飛行機も存在しなかったと云ったようです。マリオン・コティヤールにしてもそうだけど、こういうことを云いだすひとはどうも頭が弱い感じのひとが多いね。まあ、マリオン・コティヤールのときは「この女、こんなにばかだったのか」と思ったけど、ジャンマリー・ビガールの場合は最初からばかなことはわかってるからね。あまり意外性がありません。わざわざ何を今さらラジオでそんなことを云ってばかを証明するか、とは思いますが。(陰謀説支持者の方に云っておきますと、別に私は見てきたようなことを云っているのではなくて、同時多発テロが米国政府の陰謀であるということは、そのような決断があまりに米国政府の利害と理性に反したものであるがゆえに、ありえないと云っています。もしかしたら、ベンラデンもアルカイダも関係ないということについては、それは絶対にありえないことだというわけではないのかもしれません。)
 ふたりとも「ルース・チェンジ」がねたらしいのですが、そんなに説得力がある映画なんでしょうか。私は面倒くさいから見ていませんが。
 フランスでは、「ビガールは正しい、ジャーナリストはみんな嘘をついている」という主張がインターネット上ではむしろ多く見られるですが、日本ではどうなのかしら。

P.S. ジャンマリー・ビガールは謝罪して「もう二度とこの事件については言及しない」と云ったそうです。
(9月15日追記)が、また我慢できなくてテレビのニュースのゲストに出たときに同じようなことを云っちゃった。あらあら。

「あなたとはちがうんです」について

 私もサザエさん あなたもサザエさん 笑う声までおんなじね アッハッハッハ おんなじね
 とでも云ってくれた方がうれしかったのでしょう。

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Now playing: Rollins Band - Just Like You
via FoxyTunes

2008年9月6日土曜日

文字の順番



 これは文字の順番は重要ではなく、語の最初の文字と最後の文字さえ合っていれば読めるということを身をもって証明したものです。
 正しいフランス語の文章を下に書きますが、フランス語を勉強中のひとは、まず何と書いてあるか解読してみてくださいね。
 Selon une étude de l'Université de Cambridge, l'ordre des lettres dans un mot n'a pas d'importance, la seule chose importante est que la première et la dernière soient à la bonne place. Le reste peut être dans un désordre total et vous pouvez toujours lire sans problème. C'est parce que le cerveau humain ne lit pas chaque lettre elle-même, mais le mot comme un tout. La preuve...
Alors, ne venez plus m'emmerder avec les corrections orthographiques.
 親切だから訳までつけちゃう。
 「ケンブリッジ大学の研究によれば、文字の順番は重要ではなく、最初と最後の文字が合っていればそれでいいのです。残りはめちゃくちゃでもよくて、問題なく読むことができます。それは人間の脳は一文字ずつ読むのではなくて、語を一塊りとして読むからです。これがその証明です…。
 だから私のつづり方を直すなんてうるさいことはもうやめてくれ。」
 まあ、この文章がきわめて簡単だからつづりがめちゃくちゃでも問題なく読めるんですがね。野暮。